「適当に見ても面白い」の深さ

作成日: 2025-09-02 /

東海オンエアの動画を初めて見たとき、なぜこんなにスラスラ見られるんだろうと不思議に思った。テンポが速いわけでも、派手な演出があるわけでもない。ただ 6 人がわいわいやっているだけなのに、気づけば何本も連続で再生している。作業しながら流しても楽しめるし、ぼーっと見ていても置いてけぼりにならない。なんとなく心地いい。後から知ったのだが、東海オンエアはかねてから「視聴者が適当に見ても楽しめる」ことを動画編集の 1 つの指針としているという。メンバー全員が同じ編集スタイルを共有しているのも、視聴者が「誰が編集したか」を意識せず、企画そのものに集中しやすくするためだという。なるほど、と思った。あの見やすさは偶然ではなく、徹底的に計算された「気を使わせない設計」だったのだ。

それ以来、私はこの「適当に見ても伝わる」という考え方が、動画だけでなく、あらゆるアウトプットに通じる哲学だと感じるようになった。仕事でドキュメントを書くとき、プレゼンをするとき、誰かに説明するとき。私たちはついつい「しっかり読んでもらえる前提」で作ってしまう。情報を詰め込み、構成を凝らし、相手が集中して向き合ってくれることを期待する。でも現実は違う。資料は流し読みされるし、説明は半分くらいしか聞いていないこともある。それは相手の怠慢ではなく、情報が溢れる時代を生きる人間の自然な姿だ。だとすれば、作り手の側が変わるしかない。「ちゃんと読んでくれれば伝わる」ではなく、「流し読みでも伝わる」を目指す。要点を先に出す。余計な前置きを削る。一目で意味がわかるレイアウトにする。相手に努力を求めず、こちらが努力する。東海オンエアが動画でやっていることは、突き詰めればそういうことだ。作り手の苦労を、受け手に押しつけない。

この考え方は、人との関わり方にも広がっていった。誰かと一緒にいるとき、そばにいるだけで疲れを感じる相手がいる。気を遣わなければいけない、空気を読まなければいけない、変なことを言わないように気をつけなければいけない。一緒にいるだけで消耗する。逆に、「この人といると楽だ」と思える相手もいる。何を話してもいい感じがするし、沈黙も苦じゃない。ちょっとした失言も笑って流してくれる。特別なことをしなくても、ただそこにいるだけで心地よい。私はずっと、後者のような人間になりたいと思っていた。相手が気を特段使わなくてもいい人。一緒にいることへのハードルが低い人。東海オンエアの動画に感じた「適当に見ても楽しい」という感覚に近い、「適当にいても楽しい」人間。そのためには、自分が場の空気を作ることを引き受けなければいけない。相手の発言を拾う、変な間を笑いに変える、誰かが言いにくいことを先に言ってしまう。努力を相手に求めるのではなく、自分がその場をなるべく「入りやすい」ものにしていく。

東海オンエアの動画から学んだのは、技術や企画力だけではなかった。「相手に努力させない」という姿勢そのものが、1 つの誠実さなのだと気づいた。動画を作るときも、資料を書くときも、誰かと話すときも。受け手がいつも万全の状態でいるとは限らない。疲れていることもあるし、余裕がないこともある。そんな相手にも届くものを作れるか、そんな相手にも心地よい時間を作れるか。「適当でいいよ」と言える懐の深さ。そして、相手が適当でいられるように、自分がひと手間かける誠実さ。その両方を持てる人間に、私はなりたい。