振り返った結果、必然的に苦しい時期や挫折が強調されてしまいました。今の自分を形成する大切な要素ですので、あえてネガティブな面にも触れてみたいと思います。少し退屈に感じる場合があるかもしれませんが、自分の成長の過程として受け止めていただければ嬉しい限りです。🙇
2024/10/15 で 30 歳になった。あっという間に 30 歳だ。全く実感がない。10 の桁が変わるということで、振り返る。人間的にも技術的にも成長できたと、とてもではないが胸を張って言えないまま、20 代が終わってしまった。そんな 10 年間をしっかり内省して、決別するために振り返る。
前提として、20 代は楽しく充実しており、今思い出しても笑ってしまうことが多くある。関わってくれた人全員に感謝している。しかし、経験して残念な気持ちが残るもの多いのも事実だ。諦めや割り切りが多く、振り返ると自分で自分の首を絞める行為がほとんどであった。自分から嫌な経験を買っているようにも見えた。器用にこなせずにただただ時間が経ってしまった。
特に人間関係での経験で後悔が多く、人の顔色を窺って無駄な共感が多かった。人からは個性がないように見え、そこまで関わる必要がないと思われていたのだろう。人や組織と関わりたい意思がありながら、顔色を窺って一歩引いた形で関わろうとするから、結局深く関われず大きな所属感が得られず、誘われることもない。ただ深く関わっても、話を想定した通りに進められないし、トラブルに巻き込まれる。コミットメントやノルマも求められるが、それを超える技量や実力を持ち合わせていないから、叱責や軽視の対象になる。遭遇する事柄すべてのハンドリングのカロリーが高く、乗り越えても後々整理の難しい虚しい気持ちが残るだけだから、付き合い方は考えないといけない。自分が関わるだけの熱意が周りにないと、辛くなりモチベーションが下がる。称賛と自己犠牲の線引きが非常に難しい。結局なんだかんだ独りでいる時間が心地いいとコンフォートゾーンを抜け出せない自分がいた。周りがわいわい楽しそうにしているのを見るのが好きな自分もいる。
人間関係は後悔ばかりが募るので、交友関係を無理に増やすことに注力しなくてもよかったと感じる。長年残る関係は自然にできた関係であり、それが一生続くから、わざわざ努力して交流関係を広めなくてもよかったのではないかとも感じる。出会いには必ず別れというものあるから、そういう意味でいうと関わる人はその場その場で移り変わっていくかもしれない。その割り切りが足りていないことが器用に深く組織やグループに関われなかったことの後悔を募らせている。果たして交流関係を広げる努力を続けてよかったのか、何もしなくてもよかったのか、答えはまだ出ていない。
後悔しないためにはどうすればよかったのか。自己開示が圧倒的に足りなかったのかなと感じる。自分とはこのような人間ですよとアピールする時間が絶対的に足りなかったのだ。そりゃ趣味嗜好や好き嫌いが全くわからない人と仲良くなろうとして共通点を探そうにも探せまい。大人にコミュニケーションを教えているコンサルの知り合いが言っていたことだが、不明点が不安をよく掻き立てるみたいだ。行動の裏側の意図や背景が自然と相手に伝えるためにも、普段から自分はこういう考えを持っていますと伝えていけばよかった。
自分のやりたいことの達成に他人が干渉させるまたは他人に依存する割合を増やすのをやめようとも決意した。こだわりが強く出る分野では特にだ。 今ギターを始めて弾き語りでの選曲を自分で決められてモチベーションを高く維持できる。意見の衝突、人材の采配ミス、突然の路線変更などもう振り回されるのは懲り懲りだ。芸術面においては独りで行うものなんだと感じている。たまに即席でコラボやりましょうよ〜なんて温度感が一番良かったし、それがスレレスフリーで心地いいのだ。仕事も取り組みたい分野に集中したいにも仕事があまりないなんてこともざらにあった。自分で仕事を作れればいいが、それは話が飛躍し過ぎている気がする。ただやりたいことをやるのに他人から与えられる機会をじっと待っていたのだ。自業自得だ。
軽視される行動もやめるつもりだ。どうも雑に扱ってもいいと認識されている。約束を破られることが多く、本当に残念だった。弱音は普段吐かない方がいいな。
社会人生活において、優しい人と厳しい人の両方がいた。社会人前半に厳しい人、後半に優しい人が多かった印象だ。優しい人が多かったというより、シンプルに歳が取るにつれて軽視される機会が減っただけだった。前半自分を強くしてくれたことは感謝しているが、年上から厳しかった影響で年上の人が苦手になってしまった。自分に厳しくした分、年上の人に対して膨れ上がった期待にそぐわないと苛立ちを感じた時期が少しあった。厳しい人と関わると、もう自分も厳しい人に変化していくことを実感したので、他人に厳しい人には関わらないことにする。優しい人たちは他人のために率先して動く。きっと周りが優しかったんだろうな。優しくされた経験が厳しくされた経験に上書きできていない。まだ許せていないのだろうか。
決してもう一度経験したい 20 代ではないが、味わうべくして味わった挫折だったと考えると、それはそれで充実していた。
振り返りの後は、目標というか抱負も考えてみる。
上で書いたように、人間関係が想定したようにいかないので、しばらく今はずっと独りで勉強して、仕事と趣味に没頭したい気持ちで溢れている。仕事と趣味を数段階昇華する 10 年間にしたい。今自分が持ち合わせているものは種子であり、それを綺麗な花にしたい。Web とモバイルの両分野で仕事を経験したけど、経験していますと言えるレベルなのかは怪しい。Web は今勉強するものが多くて楽しみがあるし、アプリはネイティブの勉強したい、登る山が高くていいなと感じる。歌やギターも初心者は脱したが、中級者に片足突っ込んだだけのレベルになる。人前で披露するクオリティはまだない。
今はやっと憧れの仕事ができているけど、いつ仕事がなくなってもいいように、何かしら働く以外で収入になるものが欲しいと強く感じた。ブログでアフィリエイトなのか動画投稿の広告費なのか。そんな意思があると伝えると、いろんなセミナーのお声がけが来るので発言は場所によって控えるつもりだ。
所得を落とさずに平日休みが欲しい。生活していると対応が迫られ、途中休憩して全部片付ける日が一日欲しい。内心気になっていることを調べたり時間をかけて作業したい。30 代は時間をどう捻出するかがにフォーカスしたい。体が鈍ることを恐れていたが、生活を全部デジタル化して時間を節約する覚悟を持つ。頭のほうで汗をかく。
長くなったが、20 代を振り返ってみた。思う存分ネガティブ思考を吐き出せたので、もうこれでおしまいにする。自分の中からの毒が抜けた気分だ。しかし、ずいぶん爆発してしまった。定期的にリラックスして、適度に毒抜きすることにしよう。